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養老孟司先生の講演より


養老孟司氏(東京大学 名誉教授)が学生に向けた講演の一部を紹介した記事がありましたので転載します。

現代では誰もがインターネットを利用し、スマートフォンを持ち、デジタルの世界にどっぷり漬かって生きています。デジタル技術は、0と1の組み合わせで情報を記述するというのはみなさん聞いたことがあるでしょう。このやり方が便利なのは、0と1の連なりだけを記録しておけば、オリジナルと完全に同じコピーを残せるからです。写真でも映像でも、デジタル情報としてコピーを残しておけば、永遠に劣化しません。何度コピーし直しても少しも変化しない。しかし変化しない世界とは、見方によっては死んだ世界でもあります。

ところで、人間とデジタル情報の一番の違いは何でしょうか。デジタルは何度でも再生可能、みなさんは再生不能です。昨日と同じみなさんはどこにもいません。生きているとは、変化し続けることです。そして0でも1でもない、その間に存在するのが生命であり、生き物の世界です。そのことを、どうか感じてください。考えるのでなく、感じてほしいと思います。

もうひとつ、生物の本質といえるのが共生です。我々の細胞のなかにあるミトコンドリアという小器官は、もともと別の原核生物であったことがわかっています。つまり私たちの存在の根幹には、他の生物との共生があるんです。

ヒトの腸のなかには100兆もの細菌がいるにもかかわらず、抗菌・除菌製品がこんなにはやっているのは妙だと思いませんか。それは、実際の生物、生命を見ずに、概念だけで世界を捉えているからです。我々は時々、そのことを反省しなければいけない。そして生物、生命そのものを見る敏感さを、みなさんに持ってほしいと思います。

― 以上 転載

同じ頃、氏の言葉が取り上げられていたので紹介します。

「世界のことがわかってきたような気になるのは、わからないものを切り捨てていくからである。」

昆虫採集で諸地域を訪れる解剖学者は、自然のことは今もってわからないことばかりだと言う。「進歩」なんぞもだから信じられなくなると。わからないけどこれは大事と知ること。わからないものを前にして、わからないままそれに正確に対処できること。生きるにはこの方が重要なのだろう。

― 地方紙に寄せた随想「ブータン再訪」より

目には見えない、ツボとか経絡とやらを感じ(信じ)ながら施術している身としては大いに感じるところが・・・。科学的には解明されていないけれども確かに現象としては起こっている・・・といったことが多々ありますので・・・。説明できないことだらけ、わからないことだらけだと思っています。信じられていたことが実は全然違ったなんてことは良くありますし。相変わらず謙虚でいられるのはわからないことや人間の痛みや老いに日々接しているからなんだと思います。


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